鯖山峠〜宮市〜三田尻
A. 郡境の碑
佐波郡と吉敷郡の境。
B. 萩往還標示塔(舟橋)
たびたび洪水に見舞われた佐波川では、舟に板を敷いて橋の代わりとする「舟橋」が寛保2年(1742年)に作られ、昭和16年(1941年)まで現存しました。
C. 防府天満宮
京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮と共に、日本三天神と呼ばれています。延喜4年(904年)に、日本で最初の天満宮として創建されたと伝えられています。(写真は防府天満宮の参道)
D. 車塚古墳
山口県下では数少ない低地に立地する前方後円墳。前方部と後円部にそれぞれに元の横穴式石室が開口しています。
E. 野村望東尼終焉の宅跡
望東尼が亡くなった荒瀬百合子宅の門。移築された終焉の宅と墓は桑山にあります。
F. 英雲荘(三田尻御茶屋)
承応3年(1654年)、長州藩2代藩主の毛利綱広により、参勤交代の道中や領内巡視での休憩所、公式賓客の旅館として建てられました。萩往還はここで終点となりますが、ここから長州藩の水軍の拠点だった三田尻御舟倉に連絡して、各港と往還を結んでいました。(写真は英雲荘前の説明板)
G. 三田尻御舟倉跡(案内板)
藩主が乗船する「御座船」などの船が係留され、周囲には船の建造や修繕のためのさまざまな施設が建てられていました。幕末には吉田松陰や坂本龍馬など、多くの志士たちがこの三田尻を経て各地を行き来しました。