萩城跡〜唐樋札場跡〜明木市
A. 萩城跡(入口)
慶長9年(1604年)から4年がかりで築城された萩城は、明治7年(1874年)に解体され、今は壕と城壁の一部、石垣などが残っています。指月山林は城内として保護されたため、巨樹の樹齢は600年を越えるものもあり、国の天然記念物に指定されています。
B. 唐樋札場跡
萩市の中心部、唐樋(からひ)町に位置する「札場跡」。藩府・萩と防府三田尻を結ぶ、萩往還の起点となる場所です。周防・長門両国の一里塚の基点とされました。また、幕府や藩からの「御触」(法令や規則など)が掲げられた高札も立っていました。
C. 涙松跡・吉田松陰歌碑(涙松遺址)
ここを過ぎると萩の町が見えなくなってしまうため、人々はここで別れを惜しんで涙し、また帰った時は嬉し涙を流したということから、いつの間にか涙松と呼ばれるようになったそうです。安政の大獄に連座し江戸送りとなった吉田松陰はここで「かえらじと思いさだめし旅なれば、一入(ひとしお)ぬるる涙松かな」の一首を残しています。
D. 悴坂一里塚
悴(かせが)坂一里塚は、唐樋の札場を起点とした、最初の一里塚です(一里塚は約4km)。
E. 道の駅「萩往還」・松陰記念館と銅像
松陰記念館には松下村塾が再現され、記念館の前には高杉晋作・伊藤博文などの塾生の銅像が並んでいます(入館無料)。
また道の駅「萩往還」では休憩所やレストラン・売店・トイレなどウォーキングの疲れを癒せます。
F. 御駕籠建場・茶屋跡
御駕籠(おかご)建場とは、殿様一行が小休止をとるために設けられた施設です。殿様の駕籠を置く、切芝の台が2ヶ所あります。その向かいには庶民のための休憩所「茶屋」がありました。広場の西隅に水飲み場と思われる石垣が残っています。
G. 松陰歌碑
本来は明木橋のたもとにあるべきもの。事情があって少し離れた下流に設置されています。