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Essay「歴史の道萩往還」語り部だより

萩往還語り部デビュー

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2012.03. やまぐち萩往還語り部の会/古谷眞之助
筆者、天花にて 天花 四十二の曲がり 六軒茶屋跡 六軒茶屋跡、筆者 キンチヂミの清水 ご家族 国境の碑付近の駐車場

3月1日から半年間、「おいでませ山口イヤー観光キャンペーン」が開催されている。
その一環として、我が萩往還語り部の会でも、本日「一の坂四十二曲がりコース」でオープニングイベントを開催した。この日、実際にガイドをされる一期生のお手伝い役として研修の名目で参加した。研修参加なので、もちろん無料奉仕である。10時半に錦鶏湖近くのグラウンドに集合し、10時から菜香亭で開催されたオープニングセレモニーに参加した人たちを待った。今回は開催特別イベントということで、本来お客様10名につき1名配置される語り部が、何と4名もつく。そのうち2名が今回ガイドデビューの2期生なのである。という訳で、60 名のお客様に総計20名以上の語り部が参加するというオープニングイベントならではの大サービスとなった。
心配していた雨は、何とか大丈夫のようで、降られたとしても大したことはないと思われた。カッパを着込んだ語り部の何人かは、早々と脱いでいた。予定より少し早く11時前にお客様60名がバスに分乗して到着。私は3 班の班長のご指示で、いきなり第2グループのガイドをすることになった。
第2グループは、小学3年生にご夫婦という家族連れ。小学3年生の彼は幕末維新の長州の偉人に興味があるとかで、分厚い解説書をザックに入れていた。下手な話はできないぞ、と少し緊張する。
予定より早く、10:48に駐車場を出発し、天花坂口まで歩き出す。ここの駐車場で柔軟体操をして1班から順に出発する。11:05天花坂口出発。いきなりの坂道に早くも遅れ気味だ。恥ずかしながら、こちらも少々息が上がっているから、有り難い。このあたりで、さっそくガイドを開始する。
「山口市の山口っていうのは、どうしてその名が付いたか、ご存知ですか?」「山の入り口ということじゃないんですか」と奥様。「ご名答、長門の国への入口の山道、ということで山口。ただ、異説もあるんです。この右手には鳳翩山があるのですが、かつてここには銀山、銅山などかありました。その鉱山(やま)に入る入口、ということで山口という説と、もうひとつこんなのがあります。ちょっと振り返ってみましょう、あのオムスビのような山、あれを古城ヶ岳と言いますが、あそこに豪族山口氏が城を構えていたので・・・という説もあります。しかし、どれも定説とはなっていないようです」と話すと、ほほう、という感じだった。調子に乗って「あの古城ヶ岳の麓に火薬精錬所があったのをご存知ですか? 毛利の古文書には慶応3年(1867)に爆発して16名が亡くなったと書かれています」実は、これらの話は前日のアンチョコ作りの成果なのだ。もちろん、付け焼刃だけでなく、先程の道を左にとれば錦鶏の滝に至ります。そしてそこから、今日の目的地の板堂峠に抜ける道もあります、という登山暦からの知識も披露する。と、いう次第で、出足はまずまず好調だった。

四十二の曲がりに差し掛かり、3年生の彼に「これから道がくねくねと曲がって登っていきますが、本当に曲がりは四十二あるでしょうか? ちゃんと数えてみて下さい」と言うと、まだ素直な彼は、「はいっ」と気持ちの良い返事をしてくれる。ここら当たりの石畳は、昨年秋とは違って、きれいに土砂が取り払われていて見違えるばかり。そういえば、先週日曜日に、萩往還道の駅付近の清掃ボランティアに参加したのだが、その時も悴坂(かせがざか)峠付近もすごくきれいになっていてビックリした。聞けば、県の肝いりで業者も入れての萩往還一斉手入れが行なわれたらしい。今日のコースも熊笹までがしっかり刈り込んであって道幅が幾分広くなっていて気持ちよい。ここからしばらく急登が続くが、道はしっかりしているから、自分のペースを守れば特に問題はない。3班の第1グループの皆さんは、歳にもかかわらず快調なペースで、こちらの方が遅れ気味だ。相変わらず、その理由は私にあるのだが、いかにもメンバーが遅いから、という風に装っている。正にガイドの特権でもある。

「あともう少しで六軒茶屋ですよ」と言うと、少々バテ気味のお母さんが俄然勢いづく。「いやいや、もう少しというのは、実はかなり残りがあるってことでして・・・」「ええっー、ほんとですかぁ」そんな会話があって、ほどなく六軒茶屋に到着。11:30だから正味25分。足慣らしとしてはちょうどよい時間である。小3の彼は、ちょっと疲れたのか、結局曲がりがいくつあるのか数え切れなかったらしい。茶屋には観光協会のスタッフがたくさん出張しておられて、茶菓子のお接待があった。有難くお茶と外郎をいただく。この頃には時折日差しがあって、さすがに上着のカッパが鬱陶しくなり、カッパの上着とセーターを脱いでザックに押し込んだ。トイレ休憩も含めて15分の休憩を取る。六軒茶屋も実にきれいに手入れがされていた。設置されたカセットデッキから六軒茶屋の解説が流れてくる。まず日本語、続いて英語、さらに韓国語、その後に中国語があったかどうかは記憶にないが、スペイン語があったのには少々驚いた。うん、山口県観光協会もなかなかやるなぁ、スペインまで視野に入れているのか・・・というか、スペイン語圏か、それにしても・・・。11:45、班長さんの出発の合図で再び歩き始める。実は、ここで、例の土地所有者が独自に立てた看板を説明したかったのだが、もう取り払われていた。まぁ、この話をすると長くなるので割愛。

10分で一の坂一里塚に到着。六軒茶屋を過ぎればなだらかな登り、ないしは水平道が続いて実に歩きやすく快適だ。森林浴の雰囲気も味わえる。さらに10分で一貫目岩。昨秋と違って、標識まで真新しくなつていた。一体、県はどれくらいの費用を投じてくれたのだろうか。まぁ、我々としては実に有り難い。ここで、一貫目岩の由来を一くさり。316 枚の銭が出てきたというのは、偶然の一致にせよ、何と言うタイミングの良さだろうか! さらに進んで「キンチヂミの清水」。ここでは班長さんが実に深遠な解説をされていた。曰く「哺乳類は子孫を残すための精子の保管場所を守るために自然の機能を持っている。すなわち、人間のアソコであるが、熱を帯びたときには放熱するためにだらりと垂れ、逆に冷たさを感じた時には、放熱を最小限に抑えるためにチヂムのである云々」という話。それとこのキンチヂミがどういう関連があるのか、それほどに冷たい清水であったということを言いたいのか、ともかく笑ってしまった。私の解説は「大正初年まで六軒茶屋の住人、藤井、伊藤両氏が茶屋を経営してトコロテンを販売していた。清水で冷やして販売し、味は醤油味と砂糖味の二種類だった」というもの。また、この付近からショーゲン山が見えてくるので、鳳翩山へのルートだと解説する。かつて板堂峠越えで鳳翩に至るルートは、この萩往還ではなく、錦鶏の女滝から沢を詰めて板堂に至っていたような気がするがどうだったろうか。ここからもう板堂峠までは直ぐである。
山道が石段に変わってそれを下り、62号線を横切る。そこからものの500mも歩けば、萩往還の最高地点板堂峠、537mである。この峠道も気持ち悪いくらいに整備されていた。こういうイベントの時にどどーっと整備するのも結構だが、常日頃から息長い細やかな整備を期待したいものである。

さて、峠でご一家の写真を撮らせていただいた。無償ではあるが、何と言っても、私にとっては記念すべきガイド第一号である。しっかり記憶にとどめたいし、「吉田松陰も高杉晋作も、この道を歩いているのだからね」と何度も念を押しておいたのだから、小3の彼が歴史に興味を持ってくれるのを期待したいのである。
峠を越えて国境の碑へ。到着12:35。天花坂口から休憩時間も含めれば1時間半の行程。正味歩行時間1時間15分だった。駐車場でお客様はバスに乗り込み、菜香亭で昼食となる。我々語り部は、バスに便乗させてもらって天花畑まで戻り、そこで解散となった。

初めてお客様を案内したわけだが、この天花坂口から国境の碑までは慣れ親しんだ道でもあり、ちょっとした知識を仕入れて、それに今までの経験を加えれば、俄かガイドでも何とかこなせたように思う。これからはもっと周辺知識を充実させ、もっと余裕を持った解説をしたいし、語り部の喫緊のテーマである「ヤッホーポイント」制定にも努力したい。

現在のところ、錦鶏湖の左岸の駐車スペースに立って、古城ヶ岳に向かって叫ぶのが良いと思っている。ここで、 かなりの山彦が楽しめる。3月27日には、同じく研修ガイドとして、佐々並から涙松までのざっと15km を案内することになっている。またまた独自のガイドブックを作成しなければならないが、なに、書いて覚えるのは私の記憶術の要だから、早々に取り掛かって、しっかり知識を蓄えておくことにしよう。