体調を崩して語り部を中止してから半年以上になる。今時点では、体力復活目指して6月下旬から徐々に体を動かし初め、7、8月には計画的なリハビリーメニューをこなして9 月からの語り部完全復帰を目論んでいる。
こうしてイラストを描いて気持ちを慰めるよりも、やはりガイドそのものの方が楽しいに決っている。
昨年3月に語り部デビューして、12月18日までに合計15回のガイドをさせていただいた。ガイドをしてお客様を楽しませる、というよりも、当方がガイドをすることそのものを楽しんできた気がする。気持ちの良い萩往還を巡りながら、好きな幕末史と萩往還のかかわりを語るのがとても楽しいのである。ともかく、今はあまり焦らずにじっくり腰を据えてリハビリに注力することにしよう。
今月いよいよ60歳となる。語り部の定年、75歳までにはあと15年もある。焦ることはない。9月復帰として、今年はそれほど出来ないにしても、来年からは年間に最低でも30回くらいのガイドはしたいと考えている。
さて、イラストである。一番最初のイラストの元になった写真は、昨秋、東京の旅行ライターの方に撮ってもらった自分の後姿。場所は一升谷である。拙著「夫婦で歩く萩往還」の表紙も、左を見ていただければお分かりのように、ここで撮影した家内の写真を元に描いている。
やはり、リュックを担ぐ後姿よりも、菅笠に法被姿の方が様になっていると思うのだが、いかがだろうか。
萩往還の中の風景で一番のお気に入りは、釿切の集落から五文蔵垰に至る、のどかな里山風景である。ガイド時に通過する際には、いつもかなり力を入れて説明するところだ。
左下のイラストは、やはり東京の旅行ライターを案内した時にその場所で撮ってもらったもの。すでに田植えも終わった頃だろう。毎年この頃にはこの近くの農家のおばあさんがいつも丁寧に畦の草刈をされていて、実に清々しい。今年も綺麗に刈り込まれているはずだ。
一番下は六軒茶屋風景。これは昨秋に和歌山から来られた女性二人を案内した時のスナップ写真から描いたもの。
今でこそ六軒茶屋は綺麗に整備されているが、自分が山口大学の学生の頃には荒れ果てたままだった。東鳳翩山から尾根伝いに半ばヤブコギで板堂峠まで下り、そこからさらに萩往還を下ってくることが多かった。
昭和47年12月28日付の防長新聞記事によれば、六軒茶屋の最後の住人、伊藤荘司さん(62歳)が山を降りられたのは、その年の3月のこと、とあり、暮れには無人の六軒茶屋はすでに廃墟と化している、と書かれている。私がここを訪れたのは、その翌年からの4年間。その間に一の坂ダム建設が始まり、虹橋は湖底に沈んだ。さらに、その15年前には大洋漁業が東鳳翩山のリゾート開発計画を打ち出している。スキー場、ゴルフ場、放牧場、果樹園を設け、山頂には展望台を設置するというものだったが、計画は立ち消えに。もし実行されていたら、萩往還にも大きな影響があったに違いない。やれやれ、である。